東都タイムズ(平成6年4月)掲載<幸秋先生についての記事>


無垢の紙に人生を写す


 出身は雪深い東北の出。小学校の頃から良き指導者に恵まれ、また本人も才能があったのだろう。どんどんと上達したそうだ。
先生から誉められて、さらに誉めてもらいたいから努力をする。そんないい状況が続いた。卒業する時、校長先生からは特別に太筆を頂いたそうだ。そして高校の時代。新聞社主催のコンテストでは多くの賞に輝き、また先生も積極的にそれをすすめた。このまま大学は書道科と誰もがそう思っていたのに、突然、東京の服飾関係の専門学校へ進学を決めてしまう。

  「子供の頃からデザイナーになるのが夢でしたし、何だか周囲に対する反発みたいなものもありました」。当時の先生は大変ショックだったそうだ。しかし、こうと決めたら後には引かない彼女のこと。単身上京して一人暮らしを始める。ところが知り合った明治大学の学生と恋に落ち、そのまま22歳で結婚してしまう。これには周囲も驚いたようだ。そのまま主婦業の道をまっしぐら。書道への興味はまるでおき火のように胸の中にあっても、筆をとることはなかったそうだ。いつしか子育てにおわれ、硯も埃を被ってしまいこんだままになってしまった。

  しかし、眠っていた才能は日々の生活に埋没したかに思えたが、その毎日の機微を糧として、大きく羽ばたくこととなる。再び筆をとるきっかけは単純ながら娘の文化祭でのPTA作品展への出品。軽い気持ちで出したのに、その学校の先生より上手いのだから周囲がびっくり。「ぜひ私に手ほどきを」という人が何人も現れて、ついには私塾を開くこととなった。

  こうして再び筆を持つと空白の十数年が全くの無駄ではなく、精神的な土壌を肥やしていてくれたことに気付かされた。そして口コミでその話が広がり、友人宅で蕎麦屋で、彼女を迎え書道教室を開きだした。そんな一つを三鷹に尋ねてみた。

  生徒さんは近所のサラリーマンや主婦、OLたち。みんな生き生きとして筆を持っている。その生徒の一人、近所の証券会社に勤める山本幸代さんに感想を聞いてみると、「先生は丁寧に指導してくださるし、堅苦しくないのがいい」とのこと。みんなそういう思いのようだ。また作品展という具体的な目標設定があるのが励みになるとも言う。そこで先生に書の魅力についてお尋ねした。                
                                    つづき 


* 作秋院 書道教室 * 教室アクセス情報  * 書展情報 * 幸秋先生 * お問い合わせ
Copyright (c) 作秋院 書道教室 All Rights Reserved.